さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ

ちくま文庫 斎藤真理子訳

 

 

キム・ジヨン氏は33歳。IT関連企業に勤める夫チョン・デヒョン氏との間に一歳の娘がいる。キム・ジヨン氏も以前は会社勤めをしていたが出産を機に退職、夫の仕事が多忙なため育児はワンオペだ。そんなキム・ジヨン氏に「異常な症状」が出始める。時々まるで他の人が憑依したように話したり行動したりするのだ。ついには夫デヒョン氏の実家で過ごしていた時に、キム・ジヨン氏の実母が憑依して本音を暴露し夫の家族を愕然とさせるに至り、夫は困り果てて妻を精神科に連れてくる。

 

この作品は、キム・ジヨン氏がカウンセリングで話した内容の記録という体裁になっている。

 

 

 

ネタバレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

おそらく女性ならば多かれ少なかれ体験してきたであろう「よくある」「些細な」「そういうものだと受け入れてきた」理不尽さがぎっしり詰まった作品である。男性のみの軍役など韓国独特の事情もあれど、基本的には世界中どこでも日々起きていることだ。そういう小さな(ことだと今まで考えられてきた)一つ一つの不合理をきちんと言語化して一覧にして見せるのだ。

 

巻末の解説と訳者あとがきが充実しており、おかげで理解が深まる。そこで説明されているように、構成や人物設定などが極めて注意深く練り上げられていて感心する。記録という設定であれば、時代背景の説明や統計などを挿入しても不自然さがなくなる。主人公の性格を細かく描写したり心理を深く掘り下げたりしないことで、誰にでもなりうる。

 

最後、ジヨン氏を担当した精神科医の言葉に「ああ、お前もか……。」とガックリくるけれど、そこが上手い。まだまだ道のりは長いことを感じさせて絶望的な気持ちになるが、これを読んで差別の構造に気づいた読者が動きだし、少しずつでも社会が変わっていけば、絶望の物語ではなくなるはずだ。韓国ではこの作品が社会現象にまでなったようで、文学の力というものを見せつけた例だと思う。