さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『巨匠とマルガリータ(下)』ミハイル・ブルガーコフ

水野忠夫訳 岩波文庫

 

 

ネタバレです。

 

 

 

 

 

第二部に入るとガラリと様相が変わる。遂にマルガリータが舞台中央に登場し、彼女の愛と冒険の物語が中心となる。

 

巨匠は心を病んで病院に入っているが、マルガリータはそれを知らない。彼と再会する為に、マルガリータは悪魔が主催する舞踏会の女主人となることを引き受ける。

 

彼女と行動を共にする中で、悪魔団メンバーそれぞれの個性が前面に出てきて、みな魅力的に見えてくる。特に巨大な黒猫のベゲモートがいい。ロシア語ではベゲモートはカバの意味らしい。更にwikiによると、ヨブ記に出てくる獣べへモス(日本語だと大分違うけど英語だとbehemothでベゲモートに近づく)はカバやゾウがモデルで、中世には悪魔とされていたようだ。この物語の悪魔一味の巨大な黒猫にぴったりの名前ではないか。

 

エピグラフが「ファウスト」の一節になっている通り、全体的に「ファウスト」を思い起こさせる。これは悪魔との取引と魂の救済、贖罪の物語だ。ファウストが愛した女性もマルガレーテだったけれど、こちらのマルガリータはもっと強くてやんちゃで魅力的だ。愛の為に悪魔と取引し、愛する人を追い詰めた批評家の住居を徹底的に破壊するし、余計な口を挟むベゲモートに焼きを入れたり(?)もする。

 

また本作では、ヨシュア(イエス)の側と悪魔の側が対等になっていて、何だかお互いを尊重しているようだ。ヴォランドが言うように、光と影は切り離せないということなのだろう。そして巨匠とマルガリータに安らぎを与えるのは他ならぬ悪魔ヴォランドだ。

 

面白いエピソードが色々あるけど、外貨所有を糾弾する夢とか外貨専門店を巡る騒動のあたり、とてもソ連時代っぽくて個人的に非常に笑えた。

 

マタイをめぐるエピソードもなかなか良い。ヨシュアを一途に慕い、善良で頑固すぎ、ヴォランドには愚か者と見下されている。ヨシュアが、自分について来ているレビのマタイが、自分が言ってもいないことを書きつけていて困っている、とピラトゥスに言っていた箇所を思い出して笑ってしまう。

 

ピラトゥスを二千年の苦悩から解放するのは、彼の物語の作者たる巨匠だ。作家にはその力があるのだ。文学にはその力があるのだ。原稿は燃えないものなのだ。

 

読み終えた後、思わずブルガーコフの作家人生に思いを馳せた。基本的に作者と作品は切り離して考えるべきだろうが、本作に関しては巨匠とブルガーコフを重ねずにはいられない。晩年、作品が悉く発禁になり、発表するあてもないまま書き続けたブルガーコフ。今頃は巨匠のように安らぎを得ているのだろうか。

 

この作品は、この先ずっと折に触れて思い出すだろう。