さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『やし酒飲み』エイモス・チュツオーラ

岩波文庫 土屋哲訳

 

 

ただひたすらやし酒を飲むだけの人生を送る主人公。大金持ちの父親は彼にやし園を贈り、彼専属にやし酒造りの名人を雇った。ある日そのやし酒名人が事故で死んでしまう。主人公は「死者はこの世のどこかに住んでいる」という言い伝えを思い出し、死んだやし酒造りを探す旅に出る。

 

「です・ます」と「だ・である」が混じった奇妙な文体で最初は戸惑う。文法や表現も何となく不自然だったり妙だったりするのは原文のそういった雰囲気を出そうとしているんだろう。訳者解説によると、作者はヨルバ語の文章を英語に移し替えたような言葉で書いているらしい。言葉で遊び、言葉の可能性を切り開いているのかも知れない。巻末に多和田葉子さんの解説が掲載されているんだけど、確かに彼女ならこの作品と相性が良さそうだと納得。

 

内容は、死んだやし酒造りを探しに行くというメインプロットがあって、そこに民話や神話、伝説の類いを片っ端から詰め込んだ感じ。話の途中から主人公が自分のことを神の父だと言い出すとか、普通の人だった妻が急に予言を始めるとか、えっ、いつの間にそんなことになってるの⁉︎的なところが沢山ある。意図して行き当たりばったりっぽく見せてるのか?

 

突っ込みどころが多く、若干中弛みしているところもあるんだけれど、何とも言えない奇妙な味わいがあって結構楽しく読める。そもそも自分が飲みたいからやし酒造りの名人を探す、そのためだけに命懸けで何年も旅をするという設定から笑ってしまう。あと、魔術やら怪物やら精霊やら出てくる世界で、なぜか「午後5時に〜した」とか「午前9時から午後4時迄歩いた」とか普通の時刻表現が頻繁に出てくるのが私のツボにハマった。そこ時刻を言う必要ある⁉︎

 

これがアフリカ文学だ!とアフリカの外で紹介されて腹を立てるアフリカの人々の気持ちも分からなくはない。この作品が西欧から持て囃されたのは、西欧のイメージする「アフリカ」っぽいからではないのか、という疑問も湧く。ただそれはそれとして、作品自体にちゃんと独自の魅力があることは間違いない。