さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『The Goldfinch』(ゴールドフィンチ)ドナ・タート

2014年ピューリッツァー賞受賞

 

 

冒頭、主人公Theoが何かに怯えながらアムステルダムのホテルに滞在している様子が描かれる。何らかの事件に関わっているようだ。

 

物語は彼が13歳の時のこと、最愛の母を失った爆弾テロ事件へと遡る。その日Theoは停学処分になった学校へ話し合いに行くために母親と家を出た。たまたまメトロポリタン美術館でオランダ絵画の特別展を開催しており、美術に造詣の深い母親の提案で二人は展覧会に立ち寄ることに。ファブリティウスの絵『ゴシキヒワ』を始めとする作品について熱く語る母。しかしTheoの意識は、老人に連れられた赤毛の女の子の方に向いていた。そんな中で爆弾テロが起きる。

 

爆破後の瓦礫の中で、瀕死のその老人に急かされて『ゴシキヒワ』を持って脱出することになったTheoだが、自宅に戻って母親が亡くなったことを知るのだ。その後の彼は、母親の死に対する深い悲しみと自責の念、そして『ゴシキヒワ』を隠し持っていることに対する不安を抱えながら生きていくことになる。

 

 

ネタバレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

父親の失踪、母の死に対する自責の念、爆弾テロ後のPTSD、ネグレクト、借金取り立てと父の死Theoが酒浸り、薬漬けになるのも無理はない。『ゴシキヒワ』をもっと早く何とかしてれば、と思うけれど、母と暮らした場所も、その後はその建物も失われて『ゴシキヒワ』が彼と亡き母親を繋ぐ唯一の拠り所であったのだろう。そして多分、この素晴らしい絵画を持っていたいという気持ちもどこかにあったに違いない。

 

しかし、母親が死ぬ前から問題となる素行が幾つもあったし、恩人Hobieのところで働くようになって以降は不必要に詐欺行為を続け、そのせいでどんどん嘘に嘘を重ねていくことになった。Theoは骨董品を見る目がある上に営業能力が高いけれど、そういう才能を良くない方へと向ける選択ばかりしているのだ。最後にTheoが言っているように、「ありのままの自分」が所謂美徳ではなく、悪の方へ向かいたがるとしたらどうすればいいのか。

 

アムステルダムのホテルで自殺を考えるが、母親の夢を見たことで、Theoは自首しようと決心する。これが物語の中でほぼ唯一と言っていいTheoの能動的で真っ当な選択のように思う。ところがそこにBorisが現れて、絵画が美術館に返却されたと知らされ、この選択は結局実行されなかった。何とも皮肉だ。ただ、そういう決心をすることが出来たことがTheoの成長なのかもしれない。自分ではどうにもならないこと、自分でもどうしようもない自分自身の性質、そう言うものに振り回されて右往左往しながら生きていくしかないのだ。

 

Borisが言うように、善意で行ったことが酷い事態を招くこともあるだろうし、悪い行いが良い結果をもたらすこともあるだろう。人生はこんなにもコントロール不可能だ。(とは言え、Borisお前が言うか!?物事が丸く収まったとしてもそれは悪い行いを正当化する言い訳にはならないのでは?後付けの正当化なのでは?ま、Borisは魅力的で好きですが。)

 

様々な社会問題も顔を出す。酒と煙草とドラッグが如何に若年層に蔓延しているか。またTheoBorisは共に父親に放置されたネグレクトの被害者でもある。ただTheoが自己破壊願望を持つ一方で、Borisはそんな自分の人生をとことん楽しんでいるのが対照的だ。

 

そして何よりも、これは芸術を讃える小説だ。偉大な芸術作品は、どうしようもない人間達の生を超えて生き続ける。絵画も文学も家具も骨董品も。この小説は優れた芸術作品を讃え、それに魅入られた人々を描き出してもいる。

 

長い小説は大好きだし、ディテールが充実してるし、魅力的なキャラクターもいるし、最後の急展開と落とし所も面白かった。だけど私にはちょっと乗りきれなかったかな。多分この作品のリズムが個人的にしっくりこなかったんだと思う。例えば、美術館爆破後のTheoWelty の会話からTheoの脱出、帰宅、ソーシャルワーカーとのやり取りの至るまでの過程。事細かな描写がずっと続いて、節や章が変わっても時間も場所も飛ばずにずっと同じように続いていて、大事な場面だから詳細なのは理解できるけれど、ちょっとメリハリが無いように感じた。それからベガスでの生活の描き方も冗長に思え、特にドラッグ絡みの描写が何度も繰り返し出てくるのには少し疲れた。

 

でも面白い作品だと思うので、読む読まないで言えば勿論読むべし。