さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『Cloud Atlas』(クラウド・アトラス)デイヴィッド・ミッチェル


ネタバレしてます。

 

 

 

“As if Art is the What, not the How!”

本作の登場人物の一人Timothy Cavendishの言葉だ。勿論反語的に使っていて、Art”What”ではなく”How”だと言っているのだ。そして本作は”How”に非常にこだわった作品である。

 

物語は6つ。オムニバス形式だが一つの物語が途中で終わり、全く違う次の物語が始まる。それもまた途中で終わって次の新しい物語へという風に続いていき、6つ目の物語は途切れずに最後まで語られる。そして後半は前の5つの物語の続きが、前半とは逆の順番で語られてそれぞれの結末を迎え、最後に一つ目の物語が結末を迎えて作品全体が幕を閉じる。

 

各物語は時間も場所も、ジャンルもスタイルも全く異なるが、前の物語が何らかの形で次の物語の中で言及される。入れ子状になったマトリョーシカ人形を順番に開け、その後また一つずつ中にしまっていくような作品といおうか。もしくは、例えば誰かがテレビを見ている画があって、そのテレビ画面にズームインすると、画面内で誰かが絵本を読んでいて、更に絵本のページにズームインすると、そのページ内では誰かが映画を観ていて、その映画のスクリーンにズームインすると……という感じ。(言っていること伝わるかな

 

第一話 The Pacific Journal of Adam Ewing

時は19世紀半ば、サンフランシスコの公証人の航海日誌という形式。ジャレド・ダイアモンドの『鉄・病原菌・銃』で読んで個人的に軽い衝撃を受けたマオリ族とモリオリ族の話が出てくる。前半は文の途中でブッツリ切れているので、Ewingが死んでしまったんじゃないかと心配になった。

 

第二話 Letters from Zedelghem

1931年、音楽家Frobisherが友人Sixsmithへ出した書簡の形をとる。Frobisherが自身の全てを注ぎ込んで作曲したのが『Cloud Atlas Sixtet』だ。各楽器のソロが次の楽器のソロによって中断されてという曲らしく、曲の形式がこの小説の形式とオーバーラップしている。そう言えばSixsmithの名前にも6が入っている。Ewingの物語は彼の死後に息子の手で出版された本として現れる。

個人的にはこの話が一番気に入った。Frobisherは傲慢でプライドが高くひねくれているけれど、とても魅力がある人物だ。Sixsmithは最愛の人であるFrobisherの諸々の要請に素直に従っているようで、彼らの関係が垣間見える。

 

第三話 Half-Lives: The First Luisa Rey Mystery

1975年カリフォルニアの架空の都市Buenas Yerbasを舞台にしたミステリー。設定・展開共にかなりベタで大袈裟だけど、わざとそうしているのだろう。アクション映画にしやすそうな感じだ。初っ端から前の物語で手紙の受取人だったSixsmithが登場する。Luisaの母親が住む街はEwingvilleといい、これは第一話の主人公Ewingにちなんだ名前だろう。彼の出身はカリフォルニアだし、奴隷解放に尽力してその名を残したのかもしれない。彼が乗っていた船Prophetess号も展示されている。

 

第四話 The Ghastly Ordeal of Timothy Cavendish

現代のイギリスを舞台にしたスラップスティック・コメディで、回顧録として書かれている。批評家に貶された作家がその批評家を高層階のバルコニーから放り投げたエピソードは、作者が批評家への恨みを晴らしているようで笑ってしまった。イギリスの鉄道が全く駄目なこととか、イングランドとスコットランドの関係とかをネタにして笑わせる。Luisaの物語は、編集者である主人公に送られたミステリー小説の原稿として現れる。

 

第五話 An Orison of Sonmi~451

近未来(22世紀)のかつて韓国だった場所を舞台にしたSF。死刑を前にしたクローンSomni 451がそこに至るまでの出来事を記録係に話すインタビュー形式。Somniがいるのは独裁的で超管理階級国家のようで、大企業が中心となりクローンが多くの労働を担っている社会らしい。独裁とネオリベラリズムが究極の形で結びついたディストピアというか。又戦争で多くの国々が汚染されて住めなくなっているようだ。言語も現代英語とは少し表現や綴りが異なっていて、 fordが自動車、disneyが映画を意味するなど、企業支配社会らしい語彙が使われている。Cavendishの物語は、Somniが観た映画として現れる。

 

第六話 Sloosha's Crossin' an' Evrythin' After

遠い未来、文明崩壊後の世界のハワイ島を舞台にしたファンタジー。生活様式はかなり原始的で、経済は物々交換で成り立っている。使われている英語が語彙も文法も発音もかなり崩壊していて、始めは読みにくい事この上ない。それでも意味がとれないわけではなく、そのうち慣れてくる。ちょっと声に出してみた方が文字で見るより理解しやすいかも。この世界では前作のSonmiが神として崇められている。

 

最も未来の世界がプリミティブな社会として描かれているので遠い過去の物語にも見える。更には谷間の民とKona族の関係がモリオリとマオリの関係とオーバーラップしていたり、イコンを納めた廟がチャタム島のdendroglyphの廟に似ていたりして、最初のAdam Ewingの物語へと繋がり円環的になっている。

 

作品全体を通じて繰り返し現れるのが、人間の強欲さと弱肉強食の世界、そしてそれに対する個々人のささやかではあるが確固とした抵抗だ。モリオリ人はマオリ人に奴隷化され、マオリ人は西洋人に奴隷化される。力ある作曲家は若い音楽家の作品を剽窃する。大企業は不都合な人間を闇に葬り、不要な年寄りは自由を奪われる。クローンは奴隷として使われ騙されて殺される。Kona族は他部族を襲っては殺すか奴隷にする。どの時代にあっても人間は暴力を用いて弱者を搾取するし、文明化して技術が発展しても、より多くの物や権力を求めて最終的には自分達の首を絞めることになる。その一方で、奴隷解放に努める者、暴力や搾取を拒否する者、正しいと信じる事を行う者や不正を暴こうとする者が必ず現れる。門を吹っ飛ばして軛を逃れるじーさん達もいる。そんな人達の魂は場所や時代を越え、姿形を変えながら現れ続けるのだ。雲が形を変えながら空を渡っていくように。

 

人類の未来に対して暗澹たる気持ちにもなるが、個々の物語の中では希望もあるしハッピーエンドも多い。最後にAdam Ewingが奴隷解放に身を捧げようと決意して印象的な一文で締められるので、後味も悪くない。

 

話の途中で中断されて他の話を読むから、戻って後半を読む時に人名とか忘れてしまってたりしたのが難だったけれど(こういう時にkindleは便利)個々の物語はそれぞれに割と読ませるし、全体としても良くまとまっていると思う。物語の中に他の物語への目配せが入っているのを見つけるのも楽しい。一般に、本作のような形式にこだわる作品は内容とのバランスが難しいと思うけれど、これは成功例ではないだろうか。