さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『白の闇』ジョゼ・サラマーゴ

雨沢泰訳(英語からの重訳) 河出文庫

 

読みたいのに絶版で残念だとずっと思っていたら、何と文庫が出版されていた!河出書房新社さん、ありがとう!河出書房新社は面白い海外文学をどんどん出版してくれるから大好きだ。私の本棚は河出文庫とハヤカワepi文庫と白水Uブックスで占めらていると言っても過言ではない。本当はハードカバーも購入したいのだけれど、重量とスペースの問題で買うのはどうしても文庫か新書になってしまう。

 

閑話休題。

 

物語は、車の運転をしていた男が信号待ち中に突然目が見えなくなるシーンから始まる。視界一面が真っ白だと言うのだ。そして彼を家に送った男も、彼を診察した眼科医も、その眼科の待合室にいた患者たちも、次々と同じように失明してしまう。政府はこの奇妙で恐ろしい感染症にかかった患者達を施設に隔離するが、患者は増えていく一方だ。外の世界から見捨てられ、食糧の不足する施設の中は次第に地獄絵図の様相を呈していく。

 

全ての人が失明したらどうなるのか、という思考実験を小説にしたものだと言える。登場人物に名前がつけられていないことや、サラマーゴの特徴の一つである引用符のない会話文が、この作品の雰囲気に非常にマッチしている。姿形を失った時、個人を個人たらしめるものは何なのか。サングラスの娘が言うように「私たちの内側には名前のない何かがあって、その何かが私たちなの」だろう。見えなくなり、また見られることもなくなった人間は、その「内側にあるもの」が剥き出しになる。

 

医者の妻だけが視力を失わず、おぞましいもの全てを目撃せざるを得ない上に、グループの世話を一手に引き受ける母親の役割を務めることになる。時折り描かれる女性間の連帯の場面が心に残る。もし失明していない人物が男だったとしたら、随分と異なる物語になるのではないだろうか。