さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『The Accidental Tourist』(アクシデンタル・ツーリスト)アン・タイラー

Maconはボルチモアに住む40代の中年男。『The Accidental Tourist』という旅行ガイドブックを書いている。対象読者は旅行を楽しみたい一般的なツーリストではなく、旅行なんて行きたくないのに仕事で已む無く行かざるを得ないビジネスマンだ。出来るだけ余計な事はせず、まるで旅行してないかのような、限りなく普段の生活に近い旅をする為のノウハウを伝授している。

 

実はMaconのこれまでの生き方がアクシデンタル・ツーリストそのものなのだ。整然とした生活を好み、変化を嫌う。勿論旅行なんて行きたくない。不測の事態は極力事前に避けようとする。息子が車に轢かれそうになった時、瞬時に息子のいない今後の人生への心の準備をしたくらいの用心深さだ。

 

そして一年前に本当に息子を亡くしてしまい、今や妻にも別れを告げられた。Maconは息子の死を深く悲しんでいたにもかかわらず、その悲しみに向き合わず、まるで何事もなかったかのように振る舞い続けた。それは生きていく為の彼なりの防御術だったけれど、そのせいで彼はまるで自分の人生の傍観者のようになってしまっていた。

 

そんな中、犬のトレーナーをするMurielと出会う。低所得者エリアに住み、エキセントリックで押しが強いMurielMaconとは対極にあるような人物だった。彼女に押し切られながら交流していくうちに、Maconは少しずつ変わっていく。飛行機内で隣に乗り合わせた乗客とMaconとのやり取りのシーンが幾つかあるのだが、それがMaconの変化をうまく表している。

 

主人公Maconの心情と生活のディテールがとても丁寧に書き込まれていて、派手な出来事は起きないけれど読ませる小説だ。登場人物は皆ちょいと癖のある人達ばかりだが、彼らに対する作者の温かい視線が感じられて、彼らの言動に笑ったりイラッとしたりしながら読み進めるうちに段々と愛着が湧いてくる。

 

Maconの兄弟達は全員妙なこだわりがあって、日常生活の中に独自のシステムを構築してそれを維持することに全力を注いでいる。彼らが編み出したカードゲームはルールが恐ろしく複雑すぎて、他の誰も参加出来ない代物になっているところ等、色々と笑えるところもある。

 

個人的に好みのタイプの小説なのだけれど、幾つかどうしても引っかかる部分があって楽しみきれなかった。その一つが、Edwardの吠え癖や噛み癖が悪化しているのにMaconが大した事ではないように振る舞っていたところ。Maconの精神状態は理解するけれど、他の事はともかく、あの状態の犬に何もしないのは犬飼いとして受け入れ難い。それからMaconの、Alexanderのアレルギーの扱い方。彼のアレルギーは、母のMurielが過度に心配している故の思い込みの部分が多かったという設定なのだけれど、アレルギーを「心理的なもの」として片付けるのは非常に危険なことだと思う。実際に思い込みな場合もあるし、80年代の小説だから仕方ないけれど、やはり気になってしまう。

 

まあ私の個人的な引っかかりはともかく、多方面にお勧めできる、とても良い小説なのは確かだ。