さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『闇の奥』ジョゼフ・コンラッド

 

光文社古典新訳文庫 黒原敏行訳

 

✴︎ネタバレしてます

 

 

船乗りのマーロウは蒸気船の船長としてアフリカの奥地へ赴任する。そこには人を寄せ付けない沈黙の密林が暗く圧倒的な力を有して周囲を取り巻いていた。その地でマーロウは、奥地の出張所にいるクルツという社員の噂を聞く。信じられない量の象牙を手に入れているやり手社員で、高い理想を持った極めて優秀な人物のようだが、どうも病気であるらしい。マーロウは次第にクルツに興味を抱くようになるが、奥地のクルツを救出しに行く為の船は壊れていて修理の為に必要な部品も一向に届かず、何ヶ月も足止めをくらう。ようやく出港が可能になり、トラブルの多い長い船旅を経てマーロウは瀕死のクルツと対面する。

 

冒険小説として読めなくもないが、ストーリーだけを追ってみても多くの事がすり抜けてしまう。記述は断片的で曖昧、肝心な部分ははぐらかされているような印象を受ける。色々な事が微妙に矛盾しているようで、常に何か収まりの悪さがつきまとう作品だ。

 

描かれる植民地支配の光景は、おぞましさと虚さが奇妙に混じり合う。原住民である黒人は奴隷として過酷な労働を強いられ、病気等で使えなくなれば捨てられる。現地の白人社員達は多くが中身が空っぽで金儲けや地位のことしか頭になく、何か有益な事をするでも無い。クルツのキャラクターも輪郭を掴みづらい。他の人による人物像ばかりで、彼自身は非常に雄弁のようだけれど直接話す場面は少ない。

 

高邁な理念を掲げて一旗揚げようとアフリカの奥地で過ごすうちに、闇に飲まれて一線を越えてしまったクルツ。マーロウが魔境の奥地へと向かった旅は、人間の内にある闇の奥へと向かう旅でもあったのだ。クルツだけでなく、誰もがその原始の闇と何処かで繋がっている。しかしマーロウは、死の間際に言うべきことを持ち、それを言葉にしたクルツを評価する。「怖ろしい!怖ろしい!」という言葉で、一切をまとめ上げ審判を下したのだと。それはクルツ自身の人生に対する審判、そしてヨーロッパ社会、引いては人類全体への審判なのかも知れない。なお有名な原文は「The horror! The horror!」と名詞なので直訳すると「恐怖だ」なのだけれど。

 

支配人はクルツが病気であることを知った上で、救出をわざと遅らせていたように思われる。クルツは目の上のたんこぶだ。船長のマーロウが到着する前に支配人は何故か慌てて蒸気船を出港させ船は沈没する。修理に必要なリベットは河口には沢山あるのに届かない。支配人の叔父は、多くの白人が体を壊して去って行くアフリカでも全く病気にならない体質の支配人に、お前はアフリカの自然に任せておけばいいと言う。マーロウは蒸気船沈没について本当の意味がすぐにはわからず今も確信はないが自然なことではないと仄めかしている。

 

この小説は、帝国主義を告発する作品だとも人種差別的だとも評されているらしいが、私にはそのどちらの要素もあるように感じられた。帝国主義批判について言えば、原住民に対する非道な扱いと現地の白人の醜悪さの描写、マーロウが勤務地へ向かう道中に目にした植民地支配の光景を茶番や愚劣と評していること、ヨーロッパの街の様子の描写など、欧州社会に対する批判的な視線が随所に見受けられる。その一方で、征服は醜悪だがそれを支える理念と信念が有れば償えるとも表明する。大抵の理念とされるものは欺瞞にすぎないとも言っているが。またイギリスが支配するアフリカの地域は「実のある事業が営まれている」と讃えてもいて、帝国主義を全面的に否定しているようには見えない。

 

また原住民については酷い扱いを告発している一方、彼らはそのままではプリミティブな蛮人だが訓練し教化することによって有益な人間になる、という当時の思想を共有しているようだ。またアフリカの地は「原始」や「闇」を体現するものとしてしか描かれない。

 

但しこの小説が書かれた19世紀末という時代を考えれば、アフリカをこの様に描くのは致し方ないようには思える。当時のヨーロッパ人が、たとえ進歩的人道的な思想を持っていたとしても、アフリカ人とその文化を自分達と対等のものとして扱うことは想像し難い。作家もその時代の一員なのだから。