さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『The Uncommon Reader』(やんごとなき読者)アラン・ベネット

ネタバレしてます。

 

エリザベス女王はある日飼い犬を追って行った先で、宮殿の厨房の出入口付近に停まっていた移動図書館に出くわす。読書とは縁のない人生を送ってきた女王だが、礼儀として本を一冊借りていく。それはかつて勲章を授けたアイヴィ・コンプトン・バーネットの本で、面白いとは思わなかったものの常に責務を完遂する女王は最後まで読了する。翌週返却に行った際に、流れからまた一冊借りることに。今度は上流階級の一員で生い立ちなどを知っているナンシー・コンプトンの『愛の追跡』だ。これが面白く、女王は一気に読書にハマってその後の人生が一変する。

 

隙を見ては本を開き、公務に身が入らず頻繁に遅刻するようになる。服装も以前ほど気にかけない。会見する人達に何の本を読んでいるか質問し、本を渡して後で読んだかチェックしたりする。側近はそんな女王の変化に困惑する。全ての国民の為の女王という立場上、特定のものを好んで趣味を持つことは好ましくない。読書という行為は他者を遮断して引きこもる必要があるので、常に公人である女王には相応しくない。本の話を振られても困る。そもそも貴族は読書などしないのだ。本を読んで知性と教養を磨かなければならないのは下々の者達で、貴族は本来は鷹揚と暮らし、休暇は狩りにいそしむものなのだ。

 

本を読む喜びに溢れ、読書好きにとって頷けるフレーズが沢山ある。一冊の本が別の本への扉を開けることや、全ての読者は平等であること、本は別の人生や世界を知ることであること。読書の経験値が増える事を筋力がつくというような表現をしているのが面白い。最初にヘンリー・ジェイムズを読んだ時には回りくどくて叱りたいと思ったのに、多くの読書を経てそれもありだと受け入れられるようになった。移動図書館で最初に借りたアイヴィ・コンプトン・バーネットは読むのに苦労したけれど、今はきりりとした辛辣さを楽しんで読むことができる。

 

更に女王は読書によって内面も変化していく。他人の立場に立って考える事が可能になり、それまで気に留めていなかった周りの人々の感情を慮るようになる。読書を通じて物事を深く考えるようになったからこそ、それまで熱心に行ってきた公務にも疑問を抱くようになってしまう。そして本という他者の声、他者の人生を読んでいくうちに、女王は自分の声を持っていない事に気づくのだ。

 

君主制というのは、君主の一人の人間としての主張を表現する事が認められない、いわば非人間的なシステムだ。読書を経て女王は人間として目覚めてしまう。女王という機能ではなく、声を持つ人間になりたいと思うのだ。

 

それにしても、ユーモアをふんだんに交えながら上流階級を皮肉り、女王を聡明かつチャーミングに描きつつ、最後には女王自身の口から王室という制度への批判が行われている事に唸った。国家君主として血にまみれた人達とも礼儀正しく接してきた、政府の求めで賢明でない事や恥ずべき事にも加担せざるを得なかった、今日君主制は単なる政府の消臭剤でしかない、等々。

 

アラン・ベネットは戯曲『英国万歳』でジョージ三世を描いた際にも国王の非人間性のような事を扱っていて、国王が狂気に襲われている時の方が非常に人間らしくなっているのが印象的だった。

 

ちなみにタイトルからヴァージニア・ウルフに関する事が多く出てくるのかと思ったら、そうでもなかった。多くの作家の名前が出てくるし、作家達を招いてパーティーをしたものの圧倒されて、作家には直接会うより本の中で会う方がいいと思うようになった話は笑える。カナダ訪問の際にアリス・マンローと話をして彼女が作家だと知り、作品を読んで喜ぶエピソードもいい。

 

ちなみに本文の中に「読書は行動ではない、行動を促さない」「自分でもしかしたら無意識のうちに持っていた確信や決意を裏付ける為に読む」云々とあったけれど、それはなかなか鋭い考えだなと思うと同時に、いやでもそれだけではないとも思う。自らは動かない紙の束に手を伸ばして開けて読むことは既に能動的な行動であると思う。そして思っても見なかった事に出くわしたり、理解不能な人物や内容を読んで驚いたり不愉快になったりするのも読書の面白さだと思うし、それによって自分のものの見方が変わる事だって起きうるんじゃないだろうか。