さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『BABEL, OR THE NECESSITY OF VIOLENCE: An Arcane History of the Oxford Translators’ Revolution』(バベル オックスフォード革命秘史)R・F・クァン

2023年 ネビュラ賞、ローカス賞受賞

日本語訳は古沢嘉通訳『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』が東京創元社から上下巻で出版されている。

 

 

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19世紀帝国主義の時代、大英帝国は世界の覇権を握っていた。それを支えていたのが銀と翻訳から生じる魔法の力であり、銀の魔法を研究・実践する組織がオックスフォード翻訳研究所「バベル」だ。バベルでは世界中から才能ある者を集め、銀の魔法を扱うために必要な言語のエキスパートを育て、魔法を生み出す言葉を探し出し、国中の銀棒の生産とメンテナンスまで一手に引き受けている。

 

主人公は広東省の貧困家庭で育った少年。コレラの大流行で家族が次々と死んでいき、自らも死に瀕していたところをバベルで教鞭を取るLovellに助け出される。Lovellは中国語のスペシャリストで、少年を引きとり、バベルに入学させるための厳しい教育を受けさせる。はっきりと口にされることはないが実はLovellは少年の父親らしい。Robinと名乗ることになったこの少年は、努力の末にバベル入学を果たす。

 

バベルでRobinは3人の同級生と友情を育む。インド出身ムスリムのRamyは聡明で大胆、 Robinと初対面から意気投合し親友となる。ハイチ出身のVictoireは奴隷の身分から紆余曲折を経てバベル入学を勝ち取った。イギリス白人で元海軍提督(?)の娘Lettyは女性であるため優秀ながら教育を受けさせてもらえなかったが、兄の不慮の死によって大学入学を果たす。

 

勉学に励み、学生生活を満喫し、バベルの学生としての特権を享受する一方で、彼らは様々な差別にも直面する。Robinは場合によっては白人に見えなくもないが、浅黒い肌のRamyとVictoireはあからさまな人種差別を受けるし、LettyやVictoireは女性であるがゆえにしばしば屈辱的な扱いを受ける。

 

ある時Robinは自分の異母兄弟だというGriffinに出会う。彼もかつてはバベルの学生であったが、現在は姿を隠し、大英帝国とバベルに対する抵抗組織Hermesに属しているという。大英帝国の欺瞞と搾取の現状をGriffinにつきつけられ、RobinはためらいつつもHermesに協力し始める。

 

大学三年の終わりにRobin達4人はLovellに引率されてアヘン戦争前夜の広東に向かうことになった。アヘン貿易を巡って英中が対立する中、Robinはイギリス代表について中国側との交渉の通訳を務めることに。英国側の傲慢や阿片窟の様子を目の当たりにし、大英帝国の欺瞞をひしひしと感じるRobin。そしてこの中国研修を機に、Robin達の運命が意外な方向へと動き出す。

 

 

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非常に読み応えがあって面白かった。もう少し若い時に読んでいたら、もっとがっつりはまっていたかもしれない。ダークアカデミアというサブジャンルがあるということを知らず、学園ものだということでどこか安心して気楽に読み始めたら、全く甘くなかった。物語がどんどん厳しい方へ進んでいくし、内容も真正面から帝国主義や差別を糾弾している作品だった。

 

Robin達のジレンマが切ない。大英帝国の歴史と伝統を体現するようなオックスフォード大学。そんな由緒正しい大学で友と切磋琢磨しながら学問を究める苦しいながらも素晴らしき日々。そんな環境を手放したくはない。それ以前の生活がみじめであったのならなおさらだ。でもその環境は故郷の人々からの搾取の上に成り立っているのだとしたら。自分の努力と研究の結果がその構造を強化するものになるのだとしたら。

 

自分たちがエリートとして暮らせているのは大英帝国の繁栄にとって有益だからだ。どうあがいても英国の一員にはなれない。そもそもLovellは英語と中国語のエキスパートとしてバベルに貢献する人材を育成するために中国人女性との間に子供を(複数)作ったのだ。彼らがどれほど優秀であっても、研究に貢献しても、あくまで道具でしかない。

 

差別にも層があって複雑だ。VictoireやLettyが女性として受けている屈辱はRobinやRamyには推し量ることしかできないし、被支配地出身の有色人種である3人が苦しむ人種差別にLettyは気づかないし、モラルの板挟を理解できない。この認識の差が道を分けていってしまう。

 

この小説の肝は、翻訳の意味のズレから魔法が生じるというところだと思う。このコンセプトだけで凄い!と思った。一つの言葉を別の言葉に移すとき、移しきれずに失われるものがある。一つの言葉が内包するものは、それに相当する他言語の言葉とは微妙に異なる。その部分が銀を触媒として魔法となって現れる、というアイデアが非常に面白い。それを支える言語学の話も楽しい。

 

それにしても、びっくりするくらい日常生活のありとあらゆる物が銀の魔法で支えられている社会で、国家の安全保障の観点からしてそれだけに頼るのはちょっとまずいんじゃないか、と気になった。肝心の銀だって国外から調達しないといけないわけだしねえ。

 

 

 

 

 

 

ネタバレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バベル」の名から何となく予想できたように、帝国主義の傲慢さの象徴が崩壊してこの物語は終わる。Ramyの死によって生きる意欲を失くし、Griffinの死でとどめを刺されたRobin。そもそも冒頭で死んだ母親の隣に横たわって死を待つ身だった彼は、波乱の物語の後、最後に母親の顔を思い浮かべながら自分の名前を取り戻し、瓦礫の下に埋もれていく。

 

Lovell始め英国白人教授たちが典型的な悪役を務める中で、堅物だった白人女性のCraftが最後までRobin達と留まったのが興味深い。白人教授陣の中でも女性ということで「主流」の仲間ではなかったのだろう。Lettyと似た立ち位置ながら最終的な判断は対照的。彼女のことをもう少し掘り下げて欲しかったかも。