さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『On Beauty』(美について) ゼイディー・スミス

2006年オレンジ賞(現・女性小説賞)受賞

 

日本語版は堀江里美訳「美について」が河出書房新社から出ていたが、現在品切れのようだ。

 

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物語の中心はボストン郊外、Wellington大学学園都市に住むBelsey家の人々。無神論者で政治的にリベラルの一家だ。夫のHowardはイギリス出身の50代白人、レンブラント研究者でWellington大学で教鞭を取っているが、書きかけの本は永遠に完成しそうもない。宗教や伝統に対して批判的。大学のアファーマティブ・アクションを推進している。労働者階級出身で、肉屋の父親とは分かり合えない。妻のKikiも50代、フロリダ出身のアフリカ系アメリカ人で、病院で働いている。若い頃は非常に美人、現在はかなりの巨体だ。白人中心の街に住み、大学関係者に囲まれ、自分が所謂知識人でないことに少し引け目を感じている。

 

二人の間には3人の子供がいて、Boston大学に通う長男Jeromは真面目でナイーブ、父親の浮気に怒り、保守的なKipps家と一時暮らしたことで信仰に目覚める。Wellington大学に通う長女Zoraは成績優秀で弁が立つが、「見せたい自分」を演じがち。末っ子Leviはヒップホップ好きの高校生、黒人が珍しい街でしばしば不振の目を向けられることにいら立つ。ハイチ人移民グループと知り合い、黒人としてのアイデンティティーを追求する。

 

対するKipps家はイギリスに住むトリニダード系黒人一家で、保守的なクリスチャンだ。夫のMontyは今を時めくレンブラント研究者で、出版した本の評価も高い。同性愛を嫌悪するしアファーマティブ・アクションには反対している。妻のCarleneは良き妻、良き母で、家族の精神的支柱だ。長男Michaelはビジネス志向(冒頭以外はほとんど出番がない)、大学一年生の長女Victoriaは誰もが振り返るような美女で、家族の知らないところで自由奔放なセックスライフを送っている。

 

Howardは、Montyとは政治スタンスが大きく違う上に、研究に関してやり合って以来犬猿の仲だ。Jeromが父への反発からMontyのオフィスでインターンをやり、Victoriaと束の間恋に落ちたことで両家の関係が複雑になる。更にはMontyが新学期からWellington大学に教員としてやってくることに。

 

この両家のメンバーに加え、Wellington大学の教職員や学生たち、ハイチ移民たち、貧しいが美形で音楽的才能があるCarlなど、様々な人物が関わり合いながらドラマが動いていく。

 

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『ハワーズ・エンド』へのオマージュとして書かれただけあって、そっくりな冒頭の一文に始まり、同作から様々なエピソードが取り入れられている。『ハワーズ・エンド』を読んでいなくても全く問題ないけれど、読んだことのある読者なら、あちこちでニヤリと出来るだろう。どこが同じでどこをどう変えたのか、じっくり考えてみるのも面白い。

 

とは言え舞台は現代のアメリカ、ストーリーも登場人物たちの抱える問題も『ハワーズ・エンド』以上に複雑だ。階級や経済格差だけでなく、人種や世代間を隔てる溝があり、人種差別や搾取、アイデンティティーの問題、リベラルと保守の対立、教育格差やアファーマティブアクション、不倫や家族問題などなどてんこ盛り。更には絵画や詩、ヒップホップなどのアートをふんだんに盛り込み、そこに沢山の個性的な登場人物たちを絡めながら、カオティックな人間たちをユーモラスに描いた大作になっている。色々な事が一度に起きてクライマックスに向かっていく様子が、ちょっと『ホワイト・ティース』を思いださせた。

 

Howardは宗教や伝統的なものを揶揄するのが常だ。彼の研究対象は巨匠レンブラントだけれど、レンブラントは単に金を払う注文主が喜ぶような絵を書いただけであるとして従来の高い評価を批判する。レトリックを駆使するのは得意だけど、素直に真正面から物事と向き合うことを避けている節もある。浮気をしたことについてKikiともちゃんと今後の話をしようとしないし、Leviが浅黒い外見のせいで不振の目を向けられることについても恐れて取り合おうとしない。

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Howardは、同僚Claireとの浮気でKikiと危機的な状況にありながら、更には生徒のVictoriaと寝てしまう。古女房と別れるのは嫌だけれど、若い美人に誘われるとフラフラと浮気してしまうのだ。具象絵画を批判し、抽象画の中に美を見ることを論じておきながら、具象的・表面的な若い「美」に惑わされていて、何とも情けない。

 

保守的家族観を有するMontyも、実は女子学生の一人と寝ており、アファーマティブ・アクションに反対してその学生を追い出そうとしていた。二人の政治的スタンスは対照的だけれど、結局は同じ穴のムジナ。言ってることとやってることが違うんじゃないの、というそしりを免れない。

 

アカデミアへの批判は痛烈だ。詩人Claireは自身もアカデミアの中に居ながら、インテリたちが論理的でない自分の行動に戸惑って途方に暮れる姿に呆れる。インテリであることに酔っているZora達のグループより、他の生徒たちと話をしたいと思う。HowardとMontyの秘密を知ったCarlは、ダイレクトにアカデミアの偽善を糾弾する。

 

友情を育んだ妻の二人KikiとCarleneは夫たちの対極にいる。知識人ではなく、目の前のものをそのまま捉え、困っている人に心を寄せ、寛容な心を持っている。「内面の美」と言ってしまうと陳腐に聞こえるけれど、年を取っていたり太っていたりもするが、彼女たちは美しいのだ。

 

物語のラストは「Howards End」ならぬ「Howard’s End」、つまり「Howardの終わり」なのか? そうなのかもしれない。Howardは研究者としての将来に関わるプレゼンテーションに大幅に遅れ、ファイルも車に置き忘れ、無言でパワーポイントに収めたレンブラントの絵を見せ続ける。キャリアの終わりかもしれない。これまでのHowardが終わったのかもしれない。

 

そして彼は「美」を真正面から見つめる。