さまよえる前日鳥

読んだもの、観たものについての取り留めない覚え書き。ネタバレ注意。

『The Mirror & the Light』(鏡と光) ヒラリー・マンテル

ウルフ・ホール三部作の最終作

2020年ブッカー賞ロングリスト、2020年女性小説賞ショートリスト、2021年ウォルター・スコット賞

 

第一部の感想はこちら

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第二部の感想はこちら

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ネタバレです

 

 

前作はアン・ブーリンの処刑で幕を閉じ、本作はその直後から物語が始まる。

 

クロムウェルは二人の人物の救済に心を砕く。一人はトマス・ワイアットで、アン・ブーリンとの過去の関係のせいで他の者達のように処刑されたりしないよう尽力する。彼の父親から彼の事を頼むと言われていたのだ。もう一人はヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの娘メアリ。こちらもまた生前のキャサリンに頼まれていたことだ。元々女性には親切なクロムウェルではあるが、一歩間違えば自分自身にも身の危険が及ぶような状況の中、頑固なメアリに、父王への服従の手紙にサインをさせることになんとか成功する。

 

そんな中、クロムウェル達が強力に押し進めていた宗教改革に反対して北部で反乱が勃発する。クロムウェルは国民から嫌われていた。民はカトリックの長ローマ教皇への忠誠心があって信心深く、カトリックからの分離、修道院の解体と聖遺物の没収を指揮している彼を憎んでいる。市民を登録しようという試みも理解されず、単に税を取り立てる手段と思われた。そして問題なのは何よりもクロムウェルの出自だ。貴族でもない卑しい身分の彼が上に立って支配する事が許せない。

 

反乱は思いの外長引いた末にようやく鎮圧されるが、もちろんクロムウェルの仕事量は全く減らない。国王に最も近い人物とみなされ、ありとあらゆる仕事をこなす。爵位を得て貴族になり、ガーター勲章を授けられ、更にはエセックス伯爵となり、栄華を極めるが

 

 

 

胸を打つのは、ウルジー枢機卿の娘を訪れた時に裏切り者呼ばわりされた後のシーンだ。後にも先にもクロムウェルがこれほど動揺し、狼狽えた姿を見た事はない。クロムウェルはひたすら彼を救う為に必死に働いていたのに、ひょっとしてウルジーは自分が裏切っていると考えていたのか?ウルジーが死んだ今、もうそれを問い正すことは出来ない。そしてそれ以後、度々クロムウェルにアドバイスをしていたウルジーのゴーストは現れなくなってしまう。

 

本人はそれ以後自分が変わったと言う。そうかも知れない。嫌味や侮辱にも無言を通してきた彼が今では堂々とやり返す。国王に次ぐ権力者なのだから当然といえば当然だけれど。更にはCall-meが指摘したように、Putneyでの少年時代に言及する事が多くなる。父と慕ったウルジーのゴーストを失って、その代わりのように実の父親の事を頻繁に思い起こす。どんなに高い地位に上っても自分の過去から逃れる事は出来ない。ヘンリーと前妻達のイニシャルを屋敷から全て消したと思っても、後から後から現れてくるように。イングランドに新しい物語を作ろうと壁を塗り潰しても、その下の古い物語が顔を出すように。

 

クロムウェル目線だから明確には分からないけれど、国王が彼を見捨てたのには様々な事が重なり合ったのだろう。クロムウェル本人はレジナルド・ポールを捕まえられなかった事が大きな原因だと考えているようだ。宿敵ガーディナーとノーフォーク公がクロムウェルを失脚させようとフランスの後ろ盾を得て国王を説得した。メアリと結婚して王位を狙っているという噂も流れる。サドラーが言ったように、あまりに優秀過ぎる臣下は恐ろしいものだ。

 

私から見ると、やはり結婚問題が大きかったように思える。大切なのは相手に耳を傾けて何が望みなのかを知ること、というのがウルジーの教えであり、クロムウェルがこれまで実行してきた事だった。しかし「アン・クレーヴスとの婚姻を解消してキャサリン・ハワードと結婚したい」というヘンリーの望みを知りつつも、クロムウェルはそれを叶えようとはしなかった。ヘンリーの希望より自身の希望を優先してしまったのだ。それは新しいイングランドを目指すクロムウェルにとって譲れないことであった。しかし国王の望みを叶えられない者は失脚する。ウルジーもクロムウェルも、国王の希望の結婚を実現できずに見捨てられてしまうのだ。

 

最後に架空のキャラクターであるクリストフがやってくれる。まるでクロムウェルと共に歩んできた読者の(私の)心を代弁するかのように、処刑場の群衆の只中でヘンリーへの呪いの言葉を叫ぶのだ。最後の「腐食が足から頭へゆっくりまわって7年かかって死ぬように」という言葉に、涙ながら思わずにやりとしてしまう。実際のヘンリー8世はクロムウェル処刑の7年後に死亡するのだから。

 

ウルフ・ホールの冒頭のシーンに至る経緯が語られ、更にそのシーンが処刑のシーンと重なって、素晴らしい大団円になっていると思う。

 

これでウルフホール三部作は終了。いやあ面白かった。もう私の中でクロムウェルは、才能豊かで腹黒くて情に厚いこのクロムウェル以外にはない。読み終わってからも頭の片隅で登場人物達が生きてざわめいている。

 

この感想文をダラダラ書いてる途中でヒラリー・マンテルが亡くなったというニュースを聞き、ちょっとショックを受けている。きっとまだまだ書きたい事もあっただろう。

 

素晴らしい読書体験をさせてくれてありがとう。ご冥福を心からお祈りします。